3周忌と27周忌

おばあちゃんの3周忌の為、姉ちゃん一家と6人で群馬へ。前日も天気は悪くなかったのに、なぜか今日だけ悪天候。しまいには「大雨と風で、大荒れになります。」なんて残念な天気予報。


予定時間を少し過ぎてのお寺到着で、すぐに法事が始まった。ふと前方を見ると、おばあちゃんの写真のとなりにおじいちゃんの写真がある。おじいちゃんは私が1歳になる前に亡くなってしまっていて、写真のなかでしか顔を知らない。その顔がおばあちゃんと隣り合っていて、「?」と思っていた。実はおじいちゃんも27周忌で、今日はたまたまおばあちゃんのものと一緒に写真を持ってきていて、急遽一緒に法事をすることになったそうな。なんてタイミング。おじいちゃんは3月に亡くなって、おばあちゃんは5月に亡くなった。そして今は4月。うん、真ん中。(あんまり意味はない)


おばあちゃんが亡くなった時、25だった。27になった今も、実感があるのかないのかよくわからない。納棺をしたことも、骨を収めたことも覚えているのに、こうして写真の前でお経を唱えてお焼香をしているのにはまだ違和感も感じる。毎日病院に足を運んでくれて、お世話をしてくれたおじさんやおばさんは、きっとおばあちゃんがいなくなったことをもっと身近に感じているんだろう。悲しいけど、おばあちゃんと距離があったんだと思う。物理的にも、心理的にも。でも、今までとさほど変わらない感覚でおばあちゃんの姿を思い出すことができるのは、いい意味で色んな距離があったからなのかなぁとも思う。


確か、1周忌のときもすごい雨だった。降らせるねぇ、おばあちゃん。今回はおじいちゃんも一緒に手荒い歓迎だ。


おじいちゃんが亡くなってから、おばあちゃんは24年も1人で生きていたんだと、数字を見て漠然と思った。あっという間だったのか、ものすごく長かったのかはわからないけど、とにかくほぼ私が生まれてからこれまでぐらいの年月があったわけで。姉ちゃんは結婚して子供も産んで、そのコはもうすぐ2歳になろうとしてる。


法事とかお墓参りとか、そういう場に行くと人の一生とかつながりとか、そういうことを考える。私もこれから結婚して、子供を産んで育てて、そしたら孫が生まれていつかは死んで、その後も孫の子とかどんどん生まれて生きていくんだろか。人って不思議だなぁ、と改めて思う。