9.0

3月の11日。

仕事で外出していた。

外出先から職場に戻る手段がなくなって泣きたくなったけど、なんとしても帰らねばならず、奮闘した。

その晩は家に帰れなくて、家主のいない部屋で1人余震の恐怖とともに過ごす。

一晩中つけていたテレビからは、ひたすら嘘みたいな現実が流れていた。

私の泣きたくなった気持ちの何倍も何倍も、泣きたい人たちが同じ国内にいる。



3月の12日。

前日の疲労と恐怖でできなかった部屋の片づけをする。

シンクの中で粉々になったグラスの破片をひろいながら、やっぱりテレビからはもっともっと大変な現実が流れていた。

家主が帰ってきて、2人でしばらくの間テレビを眺める。

昨晩から丸1日眺めていたので、神経は磨耗していた。寒い部屋で2人でいても、1人みたいだった。

1人で散歩に出たら、さっきまでひたすら部屋に流れていた現実とは違う、これまでどおりの世界があった。

不思議な感覚になって、今大変な現実に直面してる人たちのことと、それを傍観して普通どおりの生活を送る自分のことを考える。

夜、手を繋いで歩きながら、それでも普通どおりの生活を、ちゃんと生きるしかないんだと思った。



3月の13日。

東京は、晴れていてあたたかい。

埼玉も、晴れていてあたたかい。

3月の11日に起きた地震は、数字も世界最大規模だと伝えていた。

テレビの向こう、この空とか海とか道に続く同じ国の中で、何もかもがなくなった場所がある。

今朝、福島が実家の家主と、彼の母親が初めて電話で話すことができた。

海側ではないものの、街は大きな被害を受けているようだった。

無事で、よかった。

無事じゃすまない人たちがいる中で申し訳ないと思いながらも、それでもやっぱり自分の大切な人や、大切な人の大切な人たち(なんのこっちゃ)の無事を願わずにはいられない。

あらゆるものがまるでおもちゃみたく流れたり壊れたり燃えたりして、自然の前でこんなにも人は小さいのだけれど。

それでもやっぱり、朝が来て夜が来て、また朝がくるから、私も自分のやれることをがんばる。