うみ

大学からの友人と鎌倉へ。

数少ない、思考やトーンが合うなあと感じる相手。

人はたくさんいたけれど、想像してたほどでもなかったのでちょっと得した(?)気分。



目にとまるおいしそうなものを、たくさん食べた。

これ、すごいよ!という感じの絵が描かれた木のキーホルダーを買った。

ほんと、どうやったらこの雰囲気だせるのかしら。



この間も思ったのだけれど、鎌倉大仏より長谷寺の観音様のほうに圧倒的な力を感じる。

友人もそう言っていた。

しばらくぼーっと口をあけながら観音様を見つめてしまった。



長谷寺をでたあと、由比ヶ浜でまたぼーっとしながら海をながめる。

ながめながら、ポツリポツリと色々な話をした。

そうしていること約3時間。

気づけば陽がだいぶ傾いて、風も冷たくなっていた。



食事をしながら、また話をする。

思考が似てるから、結局でる答えはひとつなんだけど。

その過程で、おたがいになにかを確認するように、すりあわせていくように交わす会話は、他の相手だと得られない感覚だ。



そんな感覚を得たあとの帰り道は、いつもよりも穏やかで、でもひとりだと感じるとさみしくもある。

けど、それはしあわせなさみしさだ。

おかしな表現かもしれないけど、そんな感じだ。



埋まらない空白はそのままだけれど。

やっぱりどうにもならないらしいので。

私はしばらく、こうしてやっていくしかないなと思う。



“もうそれ、待つしかないよね”

“でも、待つかどうかを決めるのも自分だからね”

“自分で選んでいいことだからさ”



彼女の言葉が素直に入ってきた。

さて、どこまで待てるでしょう?

自らきちんと、選べるでしょうか?



海をみながら、

膿をだした。

そしたら、それは新しい気持ちを生んだ。